ミニマリスト-手をとって

生まれた時と死ぬ時は何も持っていない

義祖父の余命

こんにちは!
2日更新できなくてごめんなさいm(_ _)m


2日間忙し過ぎて更新できず、、、苦笑


その中で昨日感じた事を記事にしたいと思います

昨日は義祖父が土曜日に入院したので
お見舞いに行きました

義祖父は2.3年程前から半身不随で介護が必要な状態を送っていました

今年の1月の下旬に会いに行ったのですが
その時はまだ少しお話しが出来る程元気でした
それでもとても状態は悪いと義祖母から聞いていました


土曜日倒れて救急車で運ばれたとゆう連絡をもらった時
体は全く動かない、目もほぼほぼ開けられない、お話しは出来ない、この1週間が山で延命しないのであれば
もって1週間、延命してもそんなにはもたないだろう

とゆうお話しでした


そして昨日会ってきたのですが
体は全く本当に動かせないようで、目も薄っすらとしか開けれず、お話しは無理でした
でも意識はあるんです

酸素マスクをつけてすごく辛そうなのに
頑張って私達の掛け声に応えてくれようとしてくれました

ゔーゔー、と何度も言うんです

義祖父とお会いするのは昨日で3回目か4回目なんです
ほとんどお話しした事はありません


それでもものすごく悲しくて、心の中が言葉にできない状態になりました

この気持ちを表現するのがすごく難しいです


余命1週間って信じたくないけど
病室のベッドの上のおじいちゃんを見ると
それを嫌でも納得してしまう


帰り道、喪服を準備しなきゃいけないなぁ
カバンがないから買わないとなぁ

なんて考えてましたが、死を分かっているからこそ
準備ができます
思い出も作れます

突然亡くなった場合は準備が間に合わない場合もあるでしょう、心残りがたくさんあるでしょう
もちろん、心の準備も含めて


一概にどちらがいいかなんて言えません
受け止める側の心の問題ですから


亡くなる本人からしてもどちらがいいかは
人それぞれです

死を予感するのは怖すぎる、辛すぎる
と思う人もいれば
分かっていれば、やりたい事やれるだけ出来るから
分かってる方がいいとゆう人もいるでしょう


これはとても難しいです


でもただ1つ、おじいちゃんを見て確信した事があります


亡くなった後、人はどこに行くのか

最大の一生解けない謎


私は昨日苦しそうなおじいちゃんを見たとき
何故かこう思いました、しかもものすごく強く


" 亡くなった人は今まで生きてきた人生の振り返りをするんだなぁ、生きてる時は思い出せなかった思い出も全て思い出し、大きな大きな画面であたかもそこにあるような近さで思い出を見るんだ、きっとそれはとても幸せで辛くて楽しくて悲しくて、でも苦しくはない、そんな気持ちで見るんだなぁ "

って思ったんです


人は亡くなった後どこに行くのか
真剣に考えた事は何度かあります

それでも謎は解けない
天国があって地獄が本当にあるのか

後世があるのか


いくら考えても分からないから結局考えるのをやめる


なのに何故か昨日、はっきりと確信のような物を持って
思い出を観るんだ、そう思ったんです

おじいちゃんを見たら、何故かそう思った


もちろん、私が言ってる事はただの妄想でしかありません


結局は分かりませんから
結局は謎ですから



それでも私は自分の直感を信じたい

今まで生きてきて、いつも直感で行動してきました

この世に正解も不正解も存在しないと思ってるので
直感で生きてきて正解だったかどうかは知りません

ですが直感で生きてきて後悔はした事がありません


だから昨日の不思議な直感も信じよう
って自然に思いました


もしかしたらただの願望かもしれない

おじいちゃんが苦しそうなのに笑顔に見えたから

そうであって欲しいとゆう私の願望かもしれません





おじいちゃん、苦しかったら頑張らなくていいですよ
でも誰もがおじいちゃんの笑顔をもう一度、もう2度、
いや何度でも見たいと思ってます





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